歴史とともに変化した祭儀場
photo by Nipponia Nippon

蒸し暑さがまだ少し残りますね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回は、国分寺市並木町にある
鳳林院を紹介させていただきます。
恋ヶ窪駅から徒歩10分、
国立駅から
バスで10分ほどのところにあります。
普段は祭儀場として使われます。
しかし、この鳳林院には
深い歴史が残されています。

鳳林院は関東の鋳工頭であった
矢沢家が享保7年に
上谷保村の農民や商人など10名と
新田開発の願書を提出し、
やっと許可が降りた享保13年に
建てられたそうです。
その後は新田開発を見守っていました。
その時の村の鎮守であった、毘沙門天が
住んでいたところでもあるそうです。

その後の鳳林院は
江戸時代からは寺子屋として使われ、
弟子の教育の場となり、
学制が発布された明治以降は
里仁小学校という学校になり、
現在の第二小学校の元となった
学校だったそうです。
このように鳳林院は
使われ方が変わっていきながら、
国分寺の変化を1700年代から見守っている
重要な文化財となっています。

このような歴史が国分寺には
沢山残されています。
皆さんも是非訪れてみては
いかがでしょうか。