歴史と文化の物語り
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国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」
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国分寺駅南口を左に出てまっすぐ歩く。
通学で毎日通るその道に「ほんやら洞」はある。
中央に扉がひとつ。白い壁に黒い枠の窓が両脇にあり、
周りは少しばかりの緑で覆われている。
その外観は周囲の景色とは、少しギャップがあった。
入口の横にはスパイシーカレーと書かれた紙が貼ってある。
ここはカレー屋さんなのだろうか。
毎日通る道にあるのに、私はそこに入ったことがなかった。
その日の帰り、お店の前を通ると、
ピリッとしたスパイスの香りが鼻をくすぐった。
ちょっとお店の中を窺うと、そこはほんのり明るく、
そして、少し変わった雰囲気を放っていた。
国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」
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少し薄暗い照明に落ち着いた音楽。
お店の中には、すでにお客さんが数名いた。
私はカウンターの席に座りメニューを見た。
店頭にはカレーの張り紙があったが、
カレーだけではなく麻婆豆腐など色々なメニューもあるようだ。
その中でもやっぱり私は、お店のおすすめであるカレーを頼んだ。
しばらくして出てきたカレーは、
大きなお皿にルーが泉のように注がれていて、
ご飯が小島のように盛られていた。
一見量が少なく見えるが食べてみるとかなりのボリュームがある。
そんなカレーを食べながら、オーナー・中山ラビさんのお話を聞いた。
中山さんは話を進んでしてくれる気さくな方だった。
1970年代ごろ、ベトナム戦争の反対運動により、
人々の間には政治にとらわれない生き方、
自由な生き方を望む風潮が広がった。
平和を愛し、既成の価値観に縛られずに生きようとする若者たちが、
ヒッピーの中心だった。
その当時の新しい文化が流れ込み、
国分寺の街にヒッピーのコミュニティが生まれた。
「変わった人たちを受け入れる空気があった」
中山さんはそう話す。
「ほんやら洞」など幾つかの店は、
ヒッピーたちの集まる場所だったようだ。
しかし、今では他の店はなくなってしまったため、
「ほんやら洞」は、そういった当時の空気を残す最後の場所だという。
国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」
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中山さんは1972年にデビューしたシンガーソングライターで、
今でも活動を続けている。
自分の言葉で歌を歌う。
そういうものに日本が影響された時代。
中山さんも、影響された内のひとりだった。
今では、自分の心情を自分の言葉に乗せて歌い上げる歌手の存在は、
決して珍しいものではないように思う。
しかし、当時の人には、そういった歌い手の心情の吐露が、
新しいひとつの文化として、目に鮮やかに映ったのだろう。
「歌は別に好きだったわけじゃなくて、たまたま始めたの。
自分の歌を歌いたいから歌うって感じで、
お金になるなんて思ってなかった」
当時、歌というのは今と違って、職業として成り立つものでは
ないと考えられていた時代だったようだ。
その後、自分で作った歌を歌いたいと思う人々が徐々に増えていき、
歌が商品になりうる時代がやってきた。
そして今度は、職業としての歌手になりたいと思う人たちが出てきた。
当時と今では異なる歌という文化。
中山さんの人生は、そんな時代の景色を教えてくれた。
国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」
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「知人に頼まれてこの店で働くことになった」
中山さんはこのお店をやるのに、
最初はそんなに乗り気ではなかったと言う。
「全然やるつもりはなったけど、なんとなく始めたの」
1977年から始まり、11年間は赤字だったそうだ。
11年間…。
私だったら逃げ出したくなるだろう。
「辞めなかったのは、本当にこの空間が好きだったから」
ここに集まってくる人も、スタッフも皆好き。
ここは居心地がいい、と中山さんは続けた。
「好き」という感情が人を頑張らせてくれる。
その気持ちの力強さを感じた。
知人に頼まれて偶然始めたはずのお店が、
いつしか自分の家のような空間になっている。
それはとても素敵なことだ。
国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」
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私は隣に座っていた常連のお客さんともお話をした。
「どれくらいここに通っているんですか?」
「僕は30年近く前からここに通ってるね。
やっぱり雰囲気があってて、オーナーと話すのが楽しいし、
週に何回来てるか覚えてないくらい」
他にも長年通うお客さんがたくさんいるそうだ。
ここがお客さんにとても愛されているのがよくわかる。
「一緒にお酒を飲むだけじゃなくて、外でもいろんなことをしてるよ」
常連のお客さんどうしで仲良くなって、
一緒に色々な場所に出かけるような仲になる人もいるという。
周りを見渡すと、確かに、
後から来たお客さんとずっと居たお客さんが、
お互い楽しそうに話をしている。
しかし、これはアットホームとは、ちょっと違う。
家で常に一緒にいるような関係ではなく、
ここに来た時だけ挨拶をするような、
気軽で温かい交流なのだ。
そういった意味での心地よい距離感が、
互いにいい関係を構築している。
国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」
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「ほんやら洞」は多くの要素を持った場所だ。
ここはヒッピー時代の空気を残した最後の場所として、
国分寺の街にとって、ひとつの文化の象徴であるように思う。
また、多くの人にとっても居心地の良い場所であり、
人と人の間を繋ぐ空間としての、
「ほんやら洞」の役割は、とても大きい。
お店を出てから、色々な話をしてくれた、
常連のお客さんの言葉が思い出される。
「年齢を超えて話ができるのが一番楽しい」
現代の日本社会では、プライベートで知らない人と話し、
そこから体温を感じるコミュニケーションを育てられる機会は、
そう多くはない。
そんな中、このお店ではそれが自然にできてしまう。
ここに来ることで、自然に交流の輪が広がっていく。
それこそが、楽しみであると教えてくれる。
そうしてできた、小さいようで大きい人の輪。
少しずつ成長していって、この地に人と人との
暖かい関係を根付かせ、街を活気づける。
それは国分寺にとっての宝物だ。
私は「ほんやら洞」に出会って、素直にそう思った。