国分寺物語

歴史と文化の物語り

ほんやら洞
中山ラビさん

国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

Pages 2 of 7

ほんやら洞が教え
てくれる国分寺

とある時代への入り口

国分寺駅南口を左に出てまっすぐ歩く。
通学で毎日通るその道に「ほんやら洞」はある。

中央に扉がひとつ。白い壁に黒い枠の窓が両脇にあり、
周りは少しばかりの緑で覆われている。

その外観は周囲の景色とは、少しギャップがあった。

入口の横にはスパイシーカレーと書かれた紙が貼ってある。
ここはカレー屋さんなのだろうか。

毎日通る道にあるのに、私はそこに入ったことがなかった。

その日の帰り、お店の前を通ると、
ピリッとしたスパイスの香りが鼻をくすぐった。

ちょっとお店の中を窺うと、そこはほんのり明るく、
そして、少し変わった雰囲気を放っていた。

国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

Pages 3 of 7

国分寺に
芽吹いた文化

ヒッピーの時代

少し薄暗い照明に落ち着いた音楽。
お店の中には、すでにお客さんが数名いた。

私はカウンターの席に座りメニューを見た。

店頭にはカレーの張り紙があったが、
カレーだけではなく麻婆豆腐など色々なメニューもあるようだ。
その中でもやっぱり私は、お店のおすすめであるカレーを頼んだ。

しばらくして出てきたカレーは、
大きなお皿にルーが泉のように注がれていて、
ご飯が小島のように盛られていた。

一見量が少なく見えるが食べてみるとかなりのボリュームがある。

そんなカレーを食べながら、オーナー・中山ラビさんのお話を聞いた。
中山さんは話を進んでしてくれる気さくな方だった。

1970年代ごろ、ベトナム戦争の反対運動により、
人々の間には政治にとらわれない生き方、
自由な生き方を望む風潮が広がった。

平和を愛し、既成の価値観に縛られずに生きようとする若者たちが、
ヒッピーの中心だった。

その当時の新しい文化が流れ込み、
国分寺の街にヒッピーのコミュニティが生まれた。

「変わった人たちを受け入れる空気があった」

中山さんはそう話す。

「ほんやら洞」など幾つかの店は、
ヒッピーたちの集まる場所だったようだ。

しかし、今では他の店はなくなってしまったため、
「ほんやら洞」は、そういった当時の空気を残す最後の場所だという。

国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

Pages 4 of 7

人の歴史から
見える
時代の風景

現代と異なる 歌

中山さんは1972年にデビューしたシンガーソングライターで、
今でも活動を続けている。

自分の言葉で歌を歌う。

そういうものに日本が影響された時代。
中山さんも、影響された内のひとりだった。

今では、自分の心情を自分の言葉に乗せて歌い上げる歌手の存在は、
決して珍しいものではないように思う。
しかし、当時の人には、そういった歌い手の心情の吐露が、
新しいひとつの文化として、目に鮮やかに映ったのだろう。

「歌は別に好きだったわけじゃなくて、たまたま始めたの。
自分の歌を歌いたいから歌うって感じで、
お金になるなんて思ってなかった」

当時、歌というのは今と違って、職業として成り立つものでは
ないと考えられていた時代だったようだ。

その後、自分で作った歌を歌いたいと思う人々が徐々に増えていき、
歌が商品になりうる時代がやってきた。

そして今度は、職業としての歌手になりたいと思う人たちが出てきた。

当時と今では異なる歌という文化。
中山さんの人生は、そんな時代の景色を教えてくれた。

国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

Pages 5 of 7

大切な空間

好きだから続けられたお店

「知人に頼まれてこの店で働くことになった」

中山さんはこのお店をやるのに、
最初はそんなに乗り気ではなかったと言う。

「全然やるつもりはなったけど、なんとなく始めたの」

1977年から始まり、11年間は赤字だったそうだ。
11年間…。
私だったら逃げ出したくなるだろう。

「辞めなかったのは、本当にこの空間が好きだったから」

ここに集まってくる人も、スタッフも皆好き。
ここは居心地がいい、と中山さんは続けた。

「好き」という感情が人を頑張らせてくれる。
その気持ちの力強さを感じた。

知人に頼まれて偶然始めたはずのお店が、
いつしか自分の家のような空間になっている。

それはとても素敵なことだ。

国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

Pages 6 of 7

ひとつのコミュ
ニティとして

長年通う常連さん

私は隣に座っていた常連のお客さんともお話をした。

「どれくらいここに通っているんですか?」

「僕は30年近く前からここに通ってるね。
やっぱり雰囲気があってて、オーナーと話すのが楽しいし、
週に何回来てるか覚えてないくらい」

他にも長年通うお客さんがたくさんいるそうだ。
ここがお客さんにとても愛されているのがよくわかる。

「一緒にお酒を飲むだけじゃなくて、外でもいろんなことをしてるよ」

常連のお客さんどうしで仲良くなって、
一緒に色々な場所に出かけるような仲になる人もいるという。

周りを見渡すと、確かに、
後から来たお客さんとずっと居たお客さんが、
お互い楽しそうに話をしている。

しかし、これはアットホームとは、ちょっと違う。

家で常に一緒にいるような関係ではなく、
ここに来た時だけ挨拶をするような、
気軽で温かい交流なのだ。

そういった意味での心地よい距離感が、
互いにいい関係を構築している。

国分寺物語
『歴史と文化の物語り』vol.2「ほんやら洞」

Pages 7 of 7

年輪のように
成長する街の資産

ここでしか、つくられないもの

「ほんやら洞」は多くの要素を持った場所だ。

ここはヒッピー時代の空気を残した最後の場所として、
国分寺の街にとって、ひとつの文化の象徴であるように思う。

また、多くの人にとっても居心地の良い場所であり、
人と人の間を繋ぐ空間としての、
「ほんやら洞」の役割は、とても大きい。

お店を出てから、色々な話をしてくれた、
常連のお客さんの言葉が思い出される。

「年齢を超えて話ができるのが一番楽しい」

現代の日本社会では、プライベートで知らない人と話し、
そこから体温を感じるコミュニケーションを育てられる機会は、
そう多くはない。

そんな中、このお店ではそれが自然にできてしまう。
ここに来ることで、自然に交流の輪が広がっていく。
それこそが、楽しみであると教えてくれる。

そうしてできた、小さいようで大きい人の輪。

少しずつ成長していって、この地に人と人との
暖かい関係を根付かせ、街を活気づける。

それは国分寺にとっての宝物だ。
私は「ほんやら洞」に出会って、素直にそう思った。

ほんやら洞のプロフィール

ルーツとなるのは、実は昭和47年に開業した京都市出町柳の店。多くの芸術家や文化人に愛され、文化発信の拠点になっていたという。この店に関わったメンバーによって開設されたのが、国分寺の「ほんやら洞」。オーナーである中山ラビさんは店に立つかたわら、今もシンガーソングライターとしてライブ活動を行っている。

 

東京都国分寺市南町2丁目18-3国分寺マンション1F

他の物語りをみる