静かな写真家

 葵の釈然としない気持ちをよそに、学食はいつもの通り人でにぎわっていた。

 ゼミメンバーはめいめい、学食のおばちゃんがよそってくれたお気に入りのメニューをトレーに載せて、テーブル席の一角に陣取っている。ただでさえ席の取りづらい学食だ。別に迷惑そうな顔をされたわけではないのだけれど、葵は心の中でこっそり、そばを通り過ぎる人たちに謝っていた。

 

 葵のトレーにはチキン竜田丼と味噌汁が乗っている。美味しいので良く注文するのだけれど、今日、このチョイスは失敗だったかなとも思う。初対面の人の前で「丼」というのは、ちょっとおしゃれなイメージじゃない。せめてカレーにしておけば良かったかな。

 

 悶々と考えていたが、同じゼミメンバーの新藤真衣(まい)が同じメニューを頼んでいるのを見て開き直ることにした。美味しいのは間違いないのだ。ついでに言うのなら、いつも学食メニューの「いももち」が気になるのだけれど、今はそれどころではなかったと気付いて、葵は輪の中心に目を向けた。もちろん、そこにいるのは晴樹だ。

 

 自己紹介と称して、ゼミのみんなで彼を質問攻めにしていた。もともとそういう性格なのか、それともすっかり疲れてしまったのか、晴樹の答えはひどく簡潔だ。退屈なのだろうか、と葵は冷やりとしたものを一瞬感じたけれど、彼がゼミメンバーの表情を窺うのに、せわしなく視線を動かしているのを見て、ん? と思った。

 もしかして、緊張してる?

「俺は山村快。東経のバンドサークルでギターやってまーす! 目指すはもちろん甲斐バンド!」

 

 「快」と「甲斐」をかけたつもりなのかしら。葵はそのだじゃれにうえ〜っと鼻白んだが、快は大得意でテーブルを挟んだ晴樹の方に、ひょろっと細長い上半身をずいっと乗り出して行く。晴樹が反射的に少々引いたようだけれど、あれは仕方がないだろう。

「髪型はポール・マッカートニーだけどね」

 そんな快の様子を見て、隣に控えていた真衣がすかさず茶々を入れる。

「おい! まだ途中だろ、真衣!」

 快の突飛な大声に、さすがに晴樹が驚いた顔をした。彼らにしてみればいつものことなのだが、来たばかりのゼミ生には少しばかり刺激が強かったらしい。

「なんか長くなりそうだったから。私は新藤真衣」

 よろしく、と落ち着いた様子でにっこり笑う彼女に、晴樹は小さく頭を下げる。

「うちのゼミはチームを組んで活動しているの。快、葵、私、それから勝(まさる)って奴がいるんだけど…、今日はいないんだ。ホイホイどこかに行く癖があって」

 困った奴ね、と彼女が肩をすくめれば、ゼミメンバーは揃って苦笑した。みんな彼に放浪癖があることは知っているのだ。

 

 気を取り直すように、真衣がこほんと咳払いする。

「寺西くんはうちのチームで活動してもらうね。私たちがやっているのは、主に国分寺の地域活動をfacebookで発信すること。これでコミュニティーをつくって広げていくの。そういえば、寺西くん、写真撮るんだよね。雑誌に写真掲載されたとか…」

 「おお、すげー!」

 快が箸を放り投げそうな勢いで歓声を上げ、彼の啜っていた味噌ラーメンの汁が飛んだ。幸いテーブルに跳ねただけで済んだが、真衣は快の方にキッと横目を向け、目くじらを立てる。

 

 新しいゼミ生の前でもいつものペースを崩さないふたりを見て、葵はすごいなあ、と思う。晴樹もまた、何を考えているかまでは良く分からない目で、彼らを静かに眺めていた。

 さっきから彼の挙動が気になって仕方がない。仲間に馴染んで、早く仲良くなってくれると良いな。そう思って葵は彼に向かって笑いかけてみた。メンバーが増えたのが純粋に嬉しくって、そんな葵にできる精一杯のウェルカムの笑顔。

「カメラマン、決まりだね!」

 最近はゼミの活動で、ひとり取材に行くことも増えている。彼が入ってもっとにぎやかになったら…、と葵は期待に胸を膨らませていた。もっとも物静かな彼は、にぎやかという言葉は少しばかりそぐわないようにも見える。

(彼が入って、そうしたらその分、快くんがもっとうるさ…、ううん、にぎやかになるよね)

 思わず浮かんでしまったその光景に噴き出しそうになって、けれども晴樹が不思議そうな顔をしてこちらを見るので慌てて背筋を伸ばして、へらっと笑い直してみる。

 私、もしかして不審かも?

 そう思って気が気ではなかったけれど、晴樹の方は相変わらずの無表情。段々引き攣ってきた笑顔の葵と、顔の変わらない晴樹。不思議な人だなあ、と葵は思う。どうにも気になるけれど、今はちょっと気まずい。

 

 しかし、笑顔の持って行き場を失った葵を助けるかのように、いつもの言い合いがひと段落したらしい快が、大きく腕を振り上げる。

「じゃあ、今日は飲みに行こうぜー!!」

 彼は歓迎会だと言って、今すぐにでも居酒屋に向かって走りだしそうな勢い。

「あ、今日は用事があるから」

 のりにのった様子の快をあっさりと遮り、晴樹がぼそりと言う。

 葵にはなんだか、今日晴樹が発した言葉の中で、それが一番、感情がこもって聞こえた。やっぱり疲れてたんだよね、と何となく自分を納得させ、ひとりでうんうんと頷いてみる。そんな葵の挙動には、さいわい誰も注目していない。

「あちゃあ…。そんならまた今度行こうぜ!」

 晴樹はわずかに頷いたように見えた。

 

 こうしてゼミメンバーでの会食は散会となり、真衣は課題を済ませるから、と言って図書館の方へさっさと歩いていってしまう。快はといえば、こちらもバンドの練習だと気合を入れて大股で去っていった。

 

 後には、葵と晴樹が残されてしまった。ちらりと晴樹の方を見れば、彼もまたこちらを窺っている。

 しばしの沈黙…。

text by 依田
2013年12月02日